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古代芸能のルーツ
1月14日
国重要無形民俗文化財
新野(にいの)の雪まつりは、雪を稲穂の花にみたてています。大雪(=豊年)を願う祭りで、伊豆神社境内でとりおこなわれます。田楽(でんがく)、舞楽、神楽(かぐら)、猿楽(さるがく)、田遊びなどの日本の芸能絵巻が徹夜で繰り広げられます。能や狂言などの伝統芸能の原点とも言われ、古代芸能を研究する人々に深い示唆を与えています。
その来歴は、伝説的な要素が強く、鎌倉時代に伊豆の伊東小次郎が流浪の末に新野にたどりつき、奈良の春日神社に奉仕していたことから薪能(たきぎのう)を伝えたとも、室町時代に生国伊勢からやってきた関氏が、田の神送りを伝えたともいわれています。どちらにしても神仏混合の芸能集団によって何百年も守られてきた古い祭りであることに変わりはありません。
「日本の芸能を学ぶものは、一度見る必要のある祭り」と全国に紹介した国文学者で歌人の折口信夫(おりぐちしのぶ)は、雪まつりの命名者でもあります。初めて雪まつりを見学した時、最も重要な神事とされている”お牛”役の舞手が競馬(きょうまん)の舞を終えて支度部屋に引っ込んだところを、写真を撮るから「もう一度やってみてくれ」と頼みました。「どこの者だか知らないが、一度入った馬が二度顔を出すことはない。何を言うのか東京小僧、見せ物じゃあないぞ」と罵声を浴びせられ、逆にその熱心さに惚れた折口は雪まつり狂いといわれるほどたびたび新野を訪れることになったといわれています。
獅子頭を鎮めている
”しずめ”
神 婆(かんば)
雪まつりは、当日に雪が降ると豊年になるという五穀豊穣祈願で、新野に雪がないときは2里も離れた峠まで取りに行きます。それはひと握りの雪でも神前に供えなければ祭りが成立しないと信じられているからです。雪まつりに使用する仮面=面形(おもてがた)は、墨・胡粉(こふん)・紅ガラだけで仕上げた素朴さが特徴で現在は19種の面があり、鎌倉時代の様式を今に伝えています。これに作り物の駒、獅子頭、馬形、牛形が加わり、仮面をつけることによって神の化身となります。
祭りは、きちんとした祭例の順序に従ってとりおこなわれ、出番を待つ庁屋(支度部屋)の壁を見物人たちが薪などの棒で叩きながら「ランジョウ(乱声)、ランジョウ」と呼びかけることから始まります。悪霊を鎮める作法だったものですが、ここでは神々に早く出てきてくれと催促しているように見えます。
幸 法(さいほう)
1月15日午前1時頃松明に点火し、いよいよこの火の下で広庭の祭事が始まります。広庭の祭事の始に出てくるのが、柔和な面形をいただいた神様「さいほう」です。赤頭巾に長いわらの冠、その先に五穀の入った玉を付け千早、短袴、白い脚絆に足袋、草鞋の出で立ちで、手に松と田うちわを持って舞います。舞い方も「打払い」「冠とり」「ササラの先立ち」などがあります。
茂登喜(もどき)

競馬(きょうまん)
次に登場するのが、”茂登喜(もどき)”で、”幸法”の演技を補う役目をします。”競馬(きょうまん)”は、作り物の馬形を手綱さばきで本物の馬のように見せます。”お牛”は宮司が務める重要な神事で、拝殿の屋根と石段に向かって、矢を放ちます。これは神や精霊との媒介をするものだと折口信夫は説明しています。これら以外にも翁、松影、正直翁、海道下り、神婆(かんば)、天狗、八幡、しずめ、鍛冶、田遊びなど、多彩な舞が繰り広げられます。
新野の雪祭り会場はこちらです。
今年行われた雪まつりの写真です。