瑞光院
近隣の厚い信仰を集める 関氏が最初に居住した台地上原野の「瑞光庵」跡には、庵よりも古い樹齢600年以上といわれる大イチョウが大腕を広げ、紅葉の季節には見事に黄色く染まります。瑞光院(ずいこういん)は、関氏二代目の盛国(もりくに)が父盛春の菩提を弔うために創建した名刹です。その名前は関氏発祥の地である伊勢の古刹瑞光寺にちなむといわれています。 瑞光院は祈祷による悪霊鬼神の退治、霊泉の発掘、医療救……古城八幡社
下条氏最初の居城 古城八幡社(ふるじょうはちまんしゃ)は、天然の要塞となるような周囲から際だってポッコリと盛り上がった小山の上にあります。下条氏の初代頼氏が居城としたもので、内部には珍しいことに八幡社本殿と摂社諏訪社本殿との二つが祭られています。この社殿は京都文化の地方への浸透を物語るものとして、国の重要文化財に指定されています。 今でも地元の人たちの信仰が厚い古城八幡社 &……犬坊の墓
井上靖の小説「犬坊狂乱」の題材 阿南町を語る時に欠かせないのが戦国武将の関氏(せきし)と下条氏(しもじょうし)の対立です。井上靖の小説「犬坊(いぬぼう)狂乱」の原案となった有名な話があります。 犬の首を頭にのせた「犬坊の墓」 権現城別名"和知野城"と呼ばれ、関氏最後の砦。天文7年から居城した。 関氏は和知野川から南の下郷5ケ村を所領としていましたが、高冷地が多く、実りが少ししか……宮下家住宅
和合の宮下家住宅 宮下家住宅は、江戸時代中頃なかごろ(1700年頃)の建築で、長野県の中南部に見られる本棟造ほんむねづくりの母体と考えられる「棟持柱むなもちばしら構造」が特色の民家住宅である。外観からもわかる棟持柱は、水平に伸びる棟木むなぎを直接支え、民家建築の技巧や変遷を見る上で貴重である。 菅原道真が先祖といわれる宮下家は、1332年に遠州宮口(現静岡県浜松市宮口)より、「伊い良ら湖こ……関昌寺の山門
戦国の世に咲いた鎮魂の寺 裏切りや策略が日常茶飯事だった戦国時代は、血生臭い事件の連続です。下条氏だけを見ても、内部抗争に乗じた徳川家康の策略で最後は破滅の道へと歩んだとされています。下条氏最後の領主・12代目下条康長(やすなが・幼名は牛千代丸)が跡目をついだのはわずか10歳の時。下条康長の「康」は徳川家康から拝受した名前で、破格な扱いを受けていたことが伺い知れます。父親・下条信正は、織田信長が……